2020年03月18日

アスレティック・ビルバオvsAマドリード観戦記

昨年3月にロンドンでフットボールを観戦した話の続きである。


とても幸運だったアーセナル観戦


この後、ブダペストで2泊3日

すぐにバルセロナへ移動し、UEFAチャンピオンズリーグ ラウンド16第2戦を観戦。


この辺りのブログは、需要が少なそうなので割愛。




金曜日の午後に、スペインのビルバオに空路で到着。


目的は、アスレティック・ビルバオのホームゲームを観戦すること。


ビルバオは、バスク地方にゆかりのある選手もしくはバスクのクラブのカンテラで育成された選手しか所属していない。そのため、今までに在籍した外国人選手はわずか6名。プロビンチャ(予算や施設の規模などが小さな地方のスポーツクラブ)の理想として語られることが多い。


ビルバオ、ルーマニア代表DFを獲得…史上6人目の外国人選手が誕生(サッカーキング)




安宿にチェックインしたおれは、夜の繁華街へ出て、街を散策。

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中心部に近い広場で、子どもたちがボールを蹴って遊んでいた。この平和な光景を見たとき、おれまで幸せな気分になった。

この写真を撮影した場所から、ほど近いバルに入る。


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見事なまでに「アスレティック・ビルバオ」一色だ。

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おいしいツマミをいただきながら、カタコトで「明日の試合を見に行く」ことを伝えた。


すると、バルのオーナーは、「3−0で勝つよ!」と応えてくれた。


「そうなってほしいね」と返したが、半信半疑だった。


アスレティック・ビルバオの対戦相手は、アトレティコ・マドリード。


この時点のリーグ戦順位は、レアルマドリードよりも上の2位。おれが言うまでもなく強豪チーム。


どんな雰囲気になるか想像しながら、安宿に戻った。

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迎えた試合当日。


バスで1時間離れたところにあるサン・セバスティアンを観光した後、ビルバオに帰った。


車内には、フットボール観戦に行くであろうファンも見かけた。


ビルバオのバスターミナルに戻ってから、徒歩5分。


聖地サン・マメスに到着。


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このスタジアムは、市街地のすぐ近くにあるのが大きな魅力だ。

(広島でいえば、旧広島市民球場の場所。仙台でいえば、勾当台公園)


なので、スタジアムの周辺はバルも多い。

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観戦するファン・サポーターはある程度「出来上がっている」ので、元気がいい。


多くのファンが入場したのを見計らって、3日前に入手したチケットを持ってスタジアムに入る。



チケットの席を確認したところ、何と最前列だった。


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客席に被る屋根を見上げると、かなり大きい。暴風雨でなければ、観客が雨に濡れることはないだろう。2013年完成のスタジアムらしい設計だ。

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スタジアムの中には、「バスク州の州旗」がいくつも掲げられている。



詰めかけた観客は39,659人。首都の強豪クラブをやっつけることを期待したムードになったところで、選手入場。そして、キックオフ。


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ビルバオは、組織的な守備でA.マドリードに対抗。決定機はつくらせない。変な位置でファールをしない「粘り強い守備」ができている。

サポーターのごく一部は、旗を振って声出し応援をしているが、それも散発的。



その分、ワンプレーワンプレーに対する反応が大きい。レプリカユニフォーム着用率が高いこともあり、「選手と気持ちを共にする」気概を感じる。おれとしては、イングランドでの試合同様、観客へのストレスを全く感じない。



前半は、スコアレスで終了。



後半になると、ややオープンな展開になる。


ビルバオにも決定機が出始め、観客のテンションも、ぐんぐん上昇。


勝ち点3がほしいA.マドリードが攻め疲れたとき、サン・マメスから轟音のような歓声が生まれた。


後半28分、イニャキ・ウィリアムズの先制ゴールだ。


先制点が生まれて立ち上がったとき、おれは左ひざをコンクリートブロックにぶつけて、少し痛めた。


ビルバオ初の黒人選手(両親はアフリカ出身でスペインへ移民、ウィリアムズ自身はビルバオ生まれ)は、
エンブレムを叩いて、サポーターにアピール。映画のようなシーンだった。


こうなると、「サン・マメスの魔物」が出現するゲーム展開だ。


A.マドリードは前がかりにせざるをえない状況だが、同点ゴールを決めることができない。



後半40分には、ビルバオが決定的な2点目をゲット。


スタジアムは、狂喜乱舞の状態になる。



このままのスコアで試合終了。2−0でアスレティック・ビルバオの勝利。


ナイスな試合だった。




聖地・サンマメスの雰囲気を味わえたことに満足して、おれは再び繁華街へ戻った。


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ファン・サポーターは勝利の美酒に酔いしれていた。


バルのオーナーは、最高の笑顔で、おれを出迎えてくれた。
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2020年03月05日

退団してありがたみが分かる。それが矢部雅明

昨シーズン中盤以降、ブリオベッカ浦安の試合を観ているとき、頭の片隅で思うことがある。

「中盤の底に矢部雅明がいたら…」








ブリオベッカ浦安が関東1部リーグで優勝して、JFL昇格を決めたのは2015年のこと。


当時のサッカーファンからは、攻撃力を評価する声が多かったように思う。


守備が組織的とは言い難かった(5年前と現在の監督は、同じような戦術なので当然だが)。
しかし、失点は少ないほうだった。




組織的とは言い難い守備で、昇格に大きく貢献したのが、矢部雅明だ。



広い守備範囲と、素晴らしい危機察知能力。


攻撃でも的確なパスを見せ、サイドバックや前線の選手が、能力を十分発揮できるような仕事ぶりを見せてくれた。


何より、どんなときもハードワークができる。



このチームの試合を観てから2試合目で、おれは「浦安の明神智和」と呼ぶようになった。


以前、ツイッターにも書いたが、村田翔とのダブルボランチは、「遠藤と明神」を見ているような名コンビだった。


心臓と肺(村田翔 オフィシャルブログ)



参考1.引退・明神智和の魂は今もガンバに。遠藤保仁、山口智、藤春廣輝の秘話。(Number web)

参考2.鹿島・内田が“いぶし銀”を絶賛(ゲキサカ)





先ほど書いたとおり、ブリオベッカは2015年に昇格を決めたが、


そのシーズンの矢部雅明は、


リーグ戦&地域決勝の全試合でフル出場



記録上でも、浦安になくてはならない存在だった。




そんな矢部の1番印象に残っているプレーは、JFLに昇格してから4試合目。アウェイのネクスファジ戦。


前半開始早々、確実に失点と思われたシュートを打たれたが、ギリギリのところでクリアしたシーンだ。


「危機一髪」 ネクスファジvsブリオベッカ浦安



緑色のスパイクでクリアしたのだが、そのスパイクは、


おれが購入してプレゼントしたものだ。


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他にも思い出深いゲームはいくつかある。

ブリオベッカ浦安、ミッションコンプリート(矢部が決勝アシスト)

「北の門番」から勝ち点を獲得したけど(ソニー戦で勝ち点ゲット)




今シーズンの再開は、いつになるか誰にも分からないが、


輝かしい成績を残すには、矢部のような選手が出てくる必要がある。(今の監督で、今の戦術を継続する場合)


それは、とても難しいことだが、心の中では期待している。
posted by 東スポ(東小岩スポーツ) at 21:30| Comment(0) | 2020 さらに超変革の浦安 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月01日

中島宏海 現役引退

中島宏海が、現役選手を引退する。





2016年(JFL1年目)だけ、ブリオベッカ浦安に所属。


当時は、永井・本吉も所属していて、序列はあまり高くなかった。


おれが初めて中島のプレーを見たのは、2月の練習試合だ。


相手は、FC KOREAで2本目からの出場。


主に控え組が出ていて、センターバックに至っては練習生が出場していた。


それでも、中島は的確な指示を出し、じたばたするような素振りは見せず。



流通経済大学トップチームでキャプテンを務めていたことは知っていたが、後にどんな活躍をしたのか調べてみた。




2015年に行われた天皇杯の試合データを見たところ、


栃木SCと対戦して120分完封。PKは5本中2本止めて、勝ち上がりに貢献。

この試合の公式記録(PDF)

流通経済大学トップチームのメンバーがなかなか豪華である。



2回戦の京都サンガ戦は、0-4で敗戦

公式記録(PDF)



記録だけを見ても、中島がJFLレベルでは良いゴールキーパーだといえる。




公式戦でのプレーを初めてみたのは、4月中旬のマルヤス戦(柏の葉)

清水康矢の応援歌を「セギノール」に!


中島がキレキレだった。見事な完封勝利で、ゴールキーパーがヒーローになった試合だ。


次の武蔵野シティ戦(武蔵野)は、GKが中島だから1失点に抑えられた試合。


奈良クラブ戦は、「頭の切れる時間稼ぎ」を見て、本当に良い選手であることを実感する。




個人的には、ゴールキーパーを中島で固定してほしかったが、スタメンは流動的になり、永井・本吉との併用が続く。


中島が再び大活躍したのは、9月下旬のマルヤス戦(豊田市陸)

リーグ得点王がいないなら…


チーム全体ドタバタだったが、中島は終始落ち着いていた。(「買い占めは控えよう」のポスターモデルに採用したいくらい)


それでいて、相手にとっては威圧感を与えていた。PKストップもあり、(チームとして18試合ぶりの)完封勝利に貢献。



この試合で、JFL残留を決定させる。しかし、上層部の傲慢(現状を理解しないで、誤った判断を連発させる)により、ブリオベッカは凋落の一途をたどることに…





ブリオベッカでの活躍を大まかに振り返ったが、今でもチームに戻ってきてほしい。(他のキーパーの実力どうこうではなく、中島の実力と安定感を買っているため)

JFLに所属していた当時も、完封勝利は珍しいが、その試合のキーパーは中島の印象が強かった。






このブログを書いて思ったが、

引退した選手について記事にしたのは初めてかもしれない。


それだけ、中島宏海というキーパーは、素晴らしかった。

第二の人生も幸あれ。
posted by 東スポ(東小岩スポーツ) at 09:58| Comment(0) | 2020 さらに超変革の浦安 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月23日

この敗戦は重く受け止めるべき 

2月としては比較的気温が高く、寒風が吹き荒れた令和初の天皇誕生日。


印旛沼のほとりにある順天堂大学のサッカー場で、ブリオベッカ浦安は今シーズン初の公式戦を迎えた。天皇杯千葉県予選準々決勝だ。


対戦相手は、明海大学サッカー部。昨年は、予選の決勝戦がこのカードだったので、レベルの高い試合になることが予測された。


アクセスが良いとは言えない場所だったが、観客は50人以上いる。過去の準々決勝と比べれば、多くのファンが来ている。



しかし、おれはもっと多くの観客に来てほしかった。


個人的には、「アマチュアクラブにとって、天皇杯はリーグ戦より大事」だと考えているので、応援も真剣にやるつもりだった。なので、この日の観戦スタイルは(夏に着る)甚平姿。試合前は動かないので寒い(試合中はちょうどいい)。



他の声出し応援するファンと話しをしている間に、選手入場となる。選手たちはボール回しもせず、すぐに円陣を組んだ。

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今年のユニフォームは、青色が鮮明に映り、フィット感が増した印象だ。ふくよかな体型のファンが、ユニを購入するときは、少し大きめのサイズを選ぶべきだろう。



試合が始まった。


浦安は齋藤翔太(西〇西から移籍)にボールを集めて好機をさぐる。


そこに富塚や小島樹、新加入の伊川拓(いかわ たく 国士舘大卒)が絡む。


サイド一辺倒ではなく、狙いが分かりやすいサッカーという印象を受けた。


一方の明海大は、ボランチのところでボールを奪取する意図をもってプレスをかけていたが、そこでかわされる(浦安からすれば突破する)シーンも散見。


浦安に流れがきているところで、見事な先制点をあげた。村田翔の直接フリーキック炸裂。今年も代えが効かない存在だ。


ゴールを決めた村田は、もちろん称えられるべきだが、左足でフリーキックを蹴るとみせかけた篠田 朋宏(しのだ ともひろ FC大阪から移籍)のフェイントが、ゴールをアシストした形になった。



しかし、最初のセットプレーのピンチを迎えると、明海大にあっさり同点ゴールを許す。悪癖変わらずその1.



嫌な流れになりかけたが、浦安が再び勝ち越す。コーナーキックのチャンスから、山崎 紘吉がゴールを挙げた。キャプテンマークがよく似合う。


前半は、このまま終了。浦安のよい流れが目立った。竹中や秋葉がいなくても、攻撃は機能しているように見える。



後半開始時は、両チームとも動きはなし。浦安は、プレスをより早めた印象を持った。


明海大は、ショートカウンターからゴールを狙う意図を感じた。


後半15分ころ、浦安は痛恨のプレーをしてしまい、明海大にPK献上。理解不能なプレーで相手に大チャンスを与える悪癖変わらずその2.
当然のごとく決められて、楽々と同点に追いつかれる。


その2分後、逆転ゴールを許してしまう。(この時間帯にコールを入れるか悩んだが、かえってチームが混乱する恐れもあったため、おれは結局何もせず。自分勝手な考えだが、悔いは残る)


この逆転ゴールが1番シャクに障る。ペナルティエリアの数m外で、ボールを持った明海大のストライカーをドフリーにしたからだ。

(ペナルティエリア3mくらい外で、浦安の竹中がドフリーでボールを持ったら、浦安ファンは、相手の守備をどう思うだろうか?)1番改善してほしい悪癖変わらず



時間は30分くらい残っていたので、特に慌てることはない。選手交代を駆使して、同点ゴールを狙う。声出しファンは、カモン浦安コールをどんどん入れる。


しかし、敵陣でボールを奪われた後のプレスのかけ方がバラバラで、効果的なロングボールや長い縦パスを入れられる。明海大のプレーに一体感があった。


センターバックの体を張った守備や南のセーブで、これ以上の追加点は許さなかったが、明らかに明海大ペース。


浦安もチャンスは作ったが、効果的なシュートは数えるほど。浦安ファンがヒートアップする場面は、あまりなかった。



そして、聞きたくなかった試合終了のホイッスルを聞いた。2−3でブリオベッカは敗戦。守備の出来、残り30分の内容を考えると、妥当な結果といえる。



勝利した明海大の選手
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この敗戦で、ブリオベッカは天皇杯本戦出場を逃した。



それどころか、天皇杯千葉県予選決勝進出が9年連続でストップ。



今年は、「予選決勝戦のムード」や「J1クラブと対戦するときの以上な高揚感」が味わえないと思うと、本当につらい。「切り替え」なんて言える心境ではない。



他の声出しファンは、そそくさと帰路についたが、おれはその場を動けず。


その理由の50%は「肉体的にも精神的にも疲労していた」

25%は「頭の中を整理するのに時間が掛かった」

最後の25%は、ここで書けない。




おれは、試合終了1時間が経ってから、サッカー場を後にした。



日が暮れた後、最寄り駅のホームに降り立つ。甚平姿には、寒風が身に染みた。
posted by 東スポ(東小岩スポーツ) at 21:24| Comment(0) | 2020 さらに超変革の浦安 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月20日

フットサル独立リーグの応援見聞記

今年初のリーグ戦観戦が、フットサル独立リーグになるとは、想像もしていなかった。


暖冬となった1月の日曜日。おれは甲府駅にいた。日なたであれば、小春日和と言いたくなるような陽気だ。


そこから、とある人が運転する車に乗せてもらい30分。試合会場となった南アルプス市若草体育館に到着。


すでに、セントラル開催のリーグ戦は始まっていた。屋内なので、選手たちの声が大きく聞こえる。


この体育館は客席を有しており、全部で200人以上は座れる。


その一部で、スーツ姿の若者が15人程度いる一角がある。


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楽しそうに雑談していたが、おれには異様な光景に見えた。なぜなら、


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このリーグでは不釣り合いといえる鳴り物の多さが目立つからである。横断幕も多い。


ほどなくして、おれが途中から見た試合が終了した。次の試合は、大月短期大学 vs あのぼこ の対戦カードらしい。


そして、スーツ姿の若者たちが動き出す。


客席の前列に置いてある脚立の上に立った若者は、こう叫んだ。「大月短大の応援練習を始めます」。


すると、






体育館に応援の音が響き渡った。


鳴り物が苦手な人が、この体育館内に居合わせてしまったら、目まいや頭痛を起こしていただろう。



応援歌(チャント)を一通り歌ったところで、大月短期大学のリーグ戦が始まった。


この試合は、リーグ最終戦で残留争いが掛かっている試合である。


だとしても、








応援の音量は凄まじかった。


太鼓類、吹奏楽、どれもフルに活用している。Jリーグでもよく聞く応援歌があると思いきや、「死ぬ気でやれ」などラ〇スが作りそうな歌詞の歌もあった。


若者たちが発する大音量に乗って、大月短大の選手たちは躍動する。ゴールを量産。ゴールが決まるたび、脚立の上に立っている若者は、派手なガッツポーズを見せた。


応援のボルテージは上がる。あのぼこ の選手たちは、イージーミスを連発してしまう。


結果として、8−3で大月短大の勝利。大月短大の自動残留が決まった。


試合終了直後、選手たちが客席にやってきた。



選手も、スーツ姿の若者も、いい笑顔で雑談していた。





リーグ戦は終わったが、まだ独立リーグのカップ戦が残っていた。



試合時間は15分だけだが、さらに数試合見られるのは嬉しいことだ。



大月短大ではないチームの試合が行われるときは、選手の声が体育館に響く。


その間の若者たちは、雑談する人もいれば、応援グッズを作る人もいた。



リーグ戦が終わってから40分後、大月短大のカップ戦が始まった。


キックオフ直後、ピッチレベルに降りてみた。選手の声が一切聞こえない。(このリーグにはない役職だが)マッチコミッショナーが存在した場合、鳴り物使用を禁じた可能性が高い。



客席に戻った直後、おれのところに小学生2人がやってきて、試合のスコアを聞いてきた。(おれはスーツで髪をオールバックにまとめて、フチが目立たない眼鏡をかけていたにも関わらず)


まだスコアレスであることを知った小学生は、若者たちの近くに座って、しばらく試合を観戦した。


カップ戦初戦は、試合終了間際に imoroba が先制して、そのまま試合終了。



2試合目からは、おれも応援に混ぜてもらった。

大月短大がゴールを決めたときは、「昔のマリーンズのホームランテーマ」を歌っていたのだが、





オウンゴールで得点してときの選手コールは、おれだけ(ついつい)「ボーリック」コールをしてしまった。


応援をしていて感じたことは「たくさんの応援歌を作り、どれも演奏がうまい」ことだ。いたく感心した。



終盤まで大月短大がリードしていたのだが、主審と選手の意思疎通が合わなかった場面もあり、FUFUが逆転して試合終了。個人的な意見だが、意思疎通のできなかった要因は、「応援がすさまじかった」可能性もある。



カップ戦最終戦までのインターバルは、疲労の影響もあり、選手も若者も口数が少なかった。しかし、日章旗を6枚もつなぎ合わせた大旗を制作する猛者もいた。



カップ戦最終戦の試合開始前は、なぜか日本国歌をアカペラで熱唱。そして、応援は今までの試合と一緒。


試合序盤で大月短大のゴレイロとBebedorのフィールドプレーヤーが交錯するアクシデントが発生。フィールドプレーヤーはすぐに起き上がれなかったが、試合後は「ほとんど普通に歩いていた」ので、大事にならなくて何よりだった。


このアクシデントが影響してBebedorの選手は全員フル出場。1日で3試合こなした後なので、両チームとも選手は疲労している。そうなると、少し休める かつ よい個人技を持つ選手がいる大月短大は強い。

結果、大月短大が勝利。


最終戦を終えた選手たちは、客席のところに戻ってきた。


そして、脚立の上に乗った若者が締めのあいさつを行った。このあいさつを、端で背中を向けて聞いたおれは思わず「青春だな」とつぶやいていた。


その後、大月短大の選手とスーツ姿の若者たちは、記念撮影に映った。



その後、鳴り物や吹奏楽器、横断幕を片付けて撤収。


おれは、最寄りの無人駅まで車で送ってもらい、スーツ姿の若者たちと別れた。



無人駅の待合室に1人で座っていたおれは、何ともいえない気持ちになった。頭の中を整理しようとして、考えたことは、


・競技の進行の妨げになると思えてしまう応援を経験したこと

・応援の熱量がキッカケで子どもたちが寄ってきたこと

・フットサルの独立リーグでも、観客を増やせる可能性は大いにあること



これらの内容が頭の中で浮かんでは消えていった。










そんなおれが、甲府駅に着いてから、無人駅で1人ぼっちになるまで、ずっと思っていたことがある。


それは、


「眠っているときの夢をずっと見ているような気分」であることだ。



おれ1人だけ年齢が多い状況だったので、この感覚が抜けることはなかった。


昨日の経験は、このブログを書いている今でも不思議である。



こんなおれを温かく迎え入れてくれたみなさん(リーグ運営の方、選手、何よりクレージーな若者たちetc.)には感謝している。


またどこかで逢いましょう。
posted by 東スポ(東小岩スポーツ) at 22:47| Comment(0) | その他サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする