2019年12月28日

梁勇基 ベガルタ退団に思うこと

2003年の天皇杯本戦 阪南大学 vs 市立船橋高校


この試合は、前半早い時間で市船の渡辺広大がゴールを決め、そのまま1点を守り切り試合終了。


阪南大学4年生の部員は、この試合をもって大学サッカーを終えた。


中には、Jリーグを希望する部員もいた。


部員の1人は、ジェフから内定が見込まれていたが、急転直下、破談となってしまう。


その後、東北のJ2クラブにテスト生として入団。


テスト生からのスタートだったが、数年後にはレギュラーとして活躍。所属しているクラブは、しばらくJ1昇格に届かなかった。


2008年は3位に滑り込み、当時のレギュレーションでJ1J2入れ替え戦に進出。


対戦相手となったジュビロの19歳(当時)松浦 拓弥の活躍が目立ってしまう2試合だった。


一方、J2クラブのキャプテンに成長した選手も攻撃力を存分に発揮。


ホームの第1戦では、絶妙なアシスト。


アウェイの第2戦では、後半ロスタイムにフリーキックから直接ゴールを決める。


残り時間は2分くらいだったが、あと1点とればJ1昇格という展開になる。


そんな中、コーナーキックのチャンスを得る。時間を考えると、ラストプレーだった。


息の上がっていたキャプテンが、コーナーキックのボールを蹴る。


そのボールに合わせにいったのは、渡辺広大。


J2クラブで再会したとき、(冗談で)「引退させてくれたのは君か!」と言われてしまった選手だ。


しかし、ジュビロの前田遼一が大きくクリアして試合終了。



この2008年で、悲願のJ1昇格は達成できなかった。


翌2009年


違う東北のクラブがJ1で健闘する中、東北のJ2クラブは昨年同様上位争いに食い込んでいた。


そして迎えた、第32節真夏の水曜ナイター。


三ツ沢に乗り込んで横浜FCとの一戦を迎えた。


当時の横浜FCは、J2のブービーに低迷していたが、前半5分にセットプレーのチャンスから難波が先制点をあげる。


J1昇格を目指す東北のクラブは、反撃の糸口すらつかめず完封負け。痛い1敗を喫する。


この試合のスタッツ(Jリーグデータサイト)


ファン・サポーターは、内容・結果ともに大きな不満を抱く。


一部サポは、前半終了時にもブーイングを飛ばした。


試合終了後は憤怒するサポーターが多数いた。





(参考)前半終了時にブーイングを飛ばした一部サポーターに対して、当時の監督は、翌日クラブハウスへ集めさせた。


以下、書籍の引用 引用元(戸塚 啓 著・不動の絆 ベガルタ仙台と手倉森監督の思い・角川書店)

「試合後すぐに、サポーターを呼んでほしいとスタッフに頼んだんです」

仙台へ戻るとすぐに、サポーターと対面した。クラブハウス内のミーティングルームに、30人ほどが集まったと記憶している。手倉森は険しい表情のまま切り出した。






低調な試合で大ブーイングを浴びても、うなだれる様子がなかったのは、東北のクラブのキャプテンだ。ファン・サポーターの近くまで来て、前を見据えた表情が、カッコよく見えた。


この試合以降、おれは「梁 勇基」というプレーヤーを特別視している。


おれが書くまでもなく、ボールテクニックは本当に素晴らしい。


練習を積み上げることによって得られた強い信念があったからこそ、メンタル面も秀でていた。


1か月後のヴェルディ戦(西が丘)で、梁勇基は数的不利をものともしない活躍を見せる。2−0でベガルタが勝利。千葉直樹がサッカーする楽しさを感じるほどの試合内容。ベストゲームといっていい。

(この試合のダイジェスト。音声はミュートにすることを薦める)




最終的にはJ2優勝を果たし、J1昇格を果たす。


2010年は、念願のJ1の舞台にたどり着いたが、苦戦を強いられる。


J1では初めての「みちのくダービー」となったアウェイの山形戦は1−3で敗戦。
試合後の殺伐とした様子は、今でも覚えている。梁勇基以外の選手の顔が死んでいた。

(一部サポはバス囲みを決行したが、更に酷い行動をとったらしい)


この試合は、もう一人のサポーターと2人で応援したが、「この状況だと、降格する」と話したことは今でも覚えている。



それでも、梁勇基個人は下を向くことなくプレーでチームを引っ張る。


この年は直接フリーキックを3本決めているが、どれも注目度が高い試合だ。
(ホーム浦和戦 アウェイ山形戦 ホーム山形戦)


8月中旬にワンタッチスコアラー・赤嶺 真吾が加入してからは、輝きが増した。


一時は降格圏に低迷していたが、引き分けでも残留を決められる状況で最終節を迎える。(その前のアウェイ新潟戦、アウェイ広島戦でも残留を決める直前までいったが…)


1点ビハインドで迎えた後半ロスタイム。


猛攻を仕掛ける中で、コーナーキックのチャンスを得る。


バックスタンドの応援中心部近くで、ボールをセットするのは、もちろん梁勇基。


このときのサポーターの盛り上がりは、過去最高レベルだった。


梁が蹴ったボールは、渡辺広大の頭にドンピシャ。見事な同点ゴールをアシスト。結果、自力でJ1残留をつかみ取った。





その翌年。ベガルタは、赤嶺を完全移籍で加入させた上で、マルキーニョス・柳沢を獲得。


FW陣は、過去最強レベル。開幕戦のアウェイ広島戦は現地観戦したが、梁とマルキーニョス・赤嶺の相性がよく、応援していてワクワクする試合だった。


その試合から6日後。東日本大震災が発生。


この日以降、ベガルタ仙台は「さまざまな使命」を背負いながら活動を続けることになる。


名実ともにチームの中心となった梁は、マスコミから大きな注目を集めた。


リーグ戦再開直後のアウェイ川崎F戦では、フリーキックから決勝ゴールをアシスト。全国メディアから、さらに取り上げられるようになった。


直後のホーム浦和戦でも勝利。2011年の梁は、ベストイレブンに選出されてもおかしくないような活躍だった。


翌2012年。太田吉彰が絶好調。ケガで出遅れたが、第7節で復帰。そこから優勝争いに食い込むが、2位に終わる。


半ば夢物語に思われたACLに出場した2013年。グループリーグ最終節のホーム江蘇瞬天戦。後半終了間際に絶好の位置でフリーキックを得るも、梁は決めきれず、試合終了。グループリーグ敗退が決定。


このシーズンの梁は精細を欠き、おれ自身は応援していて少し辛かった。


しかし、2014年以降もベガルタの中では、大きな存在だった。


チームの中で揺るぎない実績・信頼を築き上げていた。





だが、


今年の天皇杯3回戦vsカターレ(富山)を現地観戦して、No.10 梁勇基との別れが近いことを悟った。

(結果的に、この試合が最後のフル出場)


そして本日、ベガルタから契約満了が発表された。覚悟はできていたが、やはり寂しい。現役のうちに、タイトルを獲りたかった。




梁がベガルタに在籍したのは計16年。J2時代も長かったが、現場の頑張りで、来年は11年連続のJ1となる(今の高校生以下は、ベガルタにJ2の印象がないはず)



梁は、プレーでも、精神面でも、チームを引っ張ってくれた。J1に定着させてくれた。

何より、ベガルタに携わる全員に、数々の「いい思い出」をもたらしてくれた。





今は、別のチームのユニフォーム姿は想像できないが、

家族のためにも、悔いのない現役生活を送ってほしい。
posted by 東スポ(東小岩スポーツ) at 22:07| Comment(0) | ベガルタ仙台 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月20日

ブリオベッカ浦安 2019年の応援を振り返る

平成30年の応援…開き直るしかない


昨シーズンの開幕前、おれは上記のブログを更新した。その中で、以下の文章を綴った。

「試合結果だけを求めないで応援するつもり。心の中では、残留できれば合格点だ。」


この気持ちは、今年も大きく変わることがなかった。(応援したくなる選手は多かったが、球団の考えにはついていけない部分もある)


なぜならば、監督としての采配(昨年は戦術面)で不安が大きかったからである。




今年の場合、ホームゲーム時の観戦方法を変えた。

そのキッカケは、レイトン・オリエントFC(当時イングランド5部)の試合を観戦したことである。


この試合で、ずっと声出し応援しているファンは、誰もいなかった(上部リンク記事の最後にある動画を参照)。なのに、自然発生的な応援の一体感が素晴らしく、とても良い雰囲気だった。


帰国後にこの試合を思い出すと、「ため息」や「変な悲鳴」・「つまらない野次」がほとんどなかった。


(もともと、試合中の齋藤芳行氏を反面教師としたファンが多いため「つまらない野次」や罵声は少なかったが)
レイトンの空気を、少しだけでも浦安に持ち帰りたいと考えるようになる。





結果として、プロ野球の応援団がやるような演説を、(運営の許しを得た後)おれが「メインスタンド」で実施。


「メインスタンド」と強調したのには、理由がある。


おれ個人は「スタジアムの雰囲気は、サポーターが創るもの」と勝手に思っているが、


浦安市陸で1,000人の観客が来たとしても、ずっと立って声出し応援をするファンは10人程度。
多くのファンは、メインスタンドで座って観戦している。
なので、「スタジアムの雰囲気は、メインスタンドの観客が創っている」とも言い換えられる。





そう考えているおれが演説で言うことは、ほとんど変わらない。
大体、「ため息や面白くない野次を飛ばすとりも、選手を手拍子や声援で励まして、楽しく応援しましょう!」という内容である。

(おれの演説は、時々、変化球も投げる)




他に個人的に行っていることは、
(運営に許可を得た上で)年2回の非公式マッチデープラグラム配布。といっても、ほとんど「楽しく観戦するための心構え」が書いてあるだけ。


後は、試合終了後にも軽く演説して、
勝利できなかった場合は、スタンドのコンコースで、観戦へ来てくれたお礼を来場者に直接伝えることだ。


そんなことをする理由は、鈴鹿アンリミテッドのホームゲームを見たことだ。


JFLで三重ダービー!

痛い敗戦直後に、あえて矢面に出るような行動をとった山岡社長に感銘を覚えた。


幸いなことに、今シーズンは9回のホームゲームに皆勤できた。しかし、3分の2の確率で、観戦へ来てくれたお礼を直接伝えることになった…




個人的な話はこれくらいにして、浦安市陸の試合時に書いたブログのリンクを貼る。


ホーム開幕戦 vs川向こう  ・後半ATの大歓声は、今年1番印象に残っている。
後半AT、一瞬だけ「錯覚」を起こした


天皇杯予選準決勝 vs国際武道大  ・試合前の空いた時間、ゲート近くでファン4〜5人がボール回し。なぜか疲れる。
得点をあげた後、声出しファンのところで、選手が喜びを分かち合う。
先週よりも子どもたちが目立つ試合


vs栃木シティ  ・仕事のため、前半は見れず。石井幹人が、コーナーキック時のポジショニングで2枚目の黄紙をもらった直後、あわてて一言だけ演説した。


vsVONDS市原  ・U-18の公式戦を観戦したため、前半は見れず。


vs横浜猛蹴  ・「勝手にヤックス応援デー」は不発。
・バックスタンド完成後、初めて声出し応援をメインスタンドで実施。「ブルーノメンデス」応援歌を歌い始める。
・小島樹の個人技と村田翔の直接FKは圧巻だった。
(朗報)べか彦、やっと今シーズンの勝ち試合を観れた


vsつくばFC  ・昨年に続き、七夕の笹を持参。多くのファンやべか彦に願いごとを書いてもらった。
この10日後に、Montedio YamagataからMatsumoto Yamagaに選手が移籍。個人的に、移籍の情報で爆笑したのは初めて。
「立ち上がり」がよかった ブリオベッカvsつくばFC



vs流通経済大学FC  場外でファンが行う「なりきりDJ」スペースに選手数名が来てくれて、繁盛。
          他サポデーも実施。参加人数は多くなかったが、オタク向けのイベントにならない点はよかった。
          この日から、男性のスタジアムDJが登場。今後は 打合せが必要だと感じる。
自作自演 ブリオベッカ浦安 vs 流通経済大学FC


vs東京ユナイテッド  …特に覚えていない
上手いチームだが、怖いチームではない ブリオベッカ vs トーユナ


vs桐蔭横浜大学FC  ・暑い中、べか彦が精力的に動き回る。試合開始直前には、声出しエリアで太鼓叩きも行う。
一体感ある相手に勝つため



ホーム最終戦 vs日立ビルシステム  ・台風15号上陸直前。あまりの暑さに、何もできず。  
これが「球団」の現在地 ブリオベッカ vs 日立ビル




今シーズンのホームゲーム(天皇杯除く)平均観客動員は、909人。


明治安田生命のみなさんが、前売り券を大量購入してくれた試合もある。べか彦くんもいる。おいしいスタグルもある。


何よりも、全試合を浦安市陸で開催できた(関係者が尽力してくれたことには、感謝している)。


それでいて、平均1,000人行かないのは、少し寂しく感じる。




当ブログでは、たまに球団を批判している(最大で10辛のうち3辛程度)が、おれにも至らないところは多かった。


このファンが行くなら、浦安市陸に行きたい…と思わせるように活動しなければならない。(理想は年中コスプレをする中年)


来シーズンも試行錯誤は続くだろう。


ファン、関係者、選手etc.のみなさんから、意見や感想をもらえれば嬉しい。
posted by 東スポ(東小岩スポーツ) at 22:45| Comment(0) | 2019 超変革の浦安 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月14日

2019年のブリオベッカ浦安 勝ち点は昨年と同じ

守備で最悪の結果を残したのは、あの前田浩二が率いる
2012年のアビスパ福岡だと思っていた。
このシーズンのアビスパは、J1から降格したばかりにも関わらず、22チーム中18位の成績に終わった。

2012年 アビスパ福岡 Season Summary(Football LAB)


相手を完封できた試合が、42試合中わずか9試合のみ(4.7試合に1回ペースで完封)




しかし、今年のブリオベッカは、

18試合中だったの3試合しか相手を完封していない(6.0試合に1回ペースで完封)







それに加え、今年の関東サッカーリーグで思ったこと



圧倒的な強さでリーグを制したVONDS市原は、地域チャンピオンズリーグで1勝しかできなかった。



関東サッカーリーグに所属するいくつかのチームは、

「有名なチームに所属した選手」や「代表歴のある選手」「助っ人」を揃えれば昇格できる!と考えている関係者が多い。


さらに、一部のサッカーファンは、今年も関東サッカーリーグをレベルが高いと思っていた。しかし、全社でベスト4に残ったチームは横浜猛蹴のみ。リーグ優勝したチームでも、地域CLで決勝ラウンドにすら進めない現実を甘く見ないほうがいい。



このままでは、他の地域リーグから、実力・人気ともに取り残されるのは必至。

有名な選手を獲得することは、チームを強くする「手段の1つ」にしか過ぎない。選手が育つ環境を整えるために、チーム上層部が一体感を生み出せることが、何より重要だ(チーム上層部と選手の距離感、優秀な指導者、練習の雰囲気 etc. )。



…ここまでの文章を読んで、既視感があると思った人は、おれのブログをよく読んでいるのだろう(ありがとうございます)。


それもそのはず。上の文章は99%昨年おれが書いたブログのコピペだ。







改めて今年の総括を(勝手に)書くと、

「一体感を持って」天皇杯予選のタイトルを取ったのは評価したい。(理想を書けば、天皇杯本戦ベスト16進出だったが)


準決勝や決勝の守備は、「気合で守り切る」という意思がひしひしと伝わってきた。

準々決勝の vs 江戸川大 での後半ATに同点ゴールをむしり取ったシーンは、今でも印象深い。





しかし、リーグ戦になると、話が変わってくる。


ゴールキーパーもセンターバックもボランチも、いい補強ができた。攻撃がスペシャルな選手(小島)も入団してくれた。

にも関わらず、昨年と勝ち点が変わらないのは、異常事態だ。


シーズン途中から、「右サイドからの攻撃」でいい形がほとんど見られないのも、異常事態だ。


個人的には、監督を解任してもおかしくないと考えている。


8月のアウェイゲームでは見事な逆転勝利を収めたので、名監督という評価ができるかもしれない。


しかし、「読売クラブでラモスや与那城ジョージと同じ時代にプレーした選手」に名監督は1人もいない。断言できる。(名コーチはいるかもしれない)


アウェイゲームでの逆転勝利で、選手たちのプレーには感動したが、相手の監督の謎采配もブリオベッカの勝利をサポートした。
相手チームの監督の経歴を調べてもらえれば、納得するはず。





「都並監督」としての評価は悪い一方で、「都並GM」「都並コーチ」としては、マトモな仕事をしている。


しかし、都並GMや都並コーチが、有望な若手選手を育てても、すぐに退団させるような「球団」であるならば…長所を捨て短所が増えるだけだ。


現実を理解した上で、過去の成功に捉われない環境づくりをしてほしい。
posted by 東スポ(東小岩スポーツ) at 22:49| Comment(0) | 2019 超変革の浦安 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする