知っている人は知っていることだが、おれはカープファンだ。
年間で5試合以上は現地観戦する。そこまで熱狂的というわけではないけど、球場に行ったら外野席で応援している。
カープが久しぶりのBクラスになってしまい、マエケンもメジャーに行ってしまうが、(現実逃避を目的として)「なぜカープが好きになったのか?」を書き記していく。
もともとは、コロコロひいきチームが変わる野球ファンだった。
昔から、神宮・浜スタ・マリンの3球場には行く機会が多かったので、ヤクルト・横浜・ロッテが優勝したときは、嬉しかった。(特に、2005年のロッテ)
しかし、その3球団以外に好きな野球選手がいた。
黒田博樹である。
速球で相手をねじ伏せるスタイルはもちろん、「最大のピンチで、ギアを上げてバッターを抑える姿」は、本当にかっこよかった。
チームが弱い中でも、(内野手の守備が下手くそでも)決して弱音を吐かず完投してチームを勝利に導く「男気」にしびれた。
そんな黒田は2006年に200イニング近くを投げて、防御率1.85の好成績を残し、最優秀防御率のタイトルを獲得する。
シーズン終盤にはFA移籍の話題もあったが、「今後も国内他球団の移籍はない」と宣言して、カープに残留した。
それでも、「メジャーリーグへの移籍は容認する」条項が含まれており、いつ海を渡ってもおかしくない情勢だった。
翌2007年、カープのホームグラウンドで黒田を観たくなり、
広島市民球場へ足を運んだ。
球場開設50周年であり、マツダスタジアムが開設される1年ちょっと前のことである。
いかにも昭和の雰囲気が漂う球場である。
この日は、vs讀賣戦でカープの先発投手はもちろん黒田博樹
父・一博さんを亡くした影響からか、中2週間を空けての登板である。
しかし、李承Yにホームランを打たれるなど、6回4失点で降板してしまう。
「広島市民球場」での「黒田」に興奮しっぱなしだったが、その間にカープ打線は1点しか返せず…
カープは7回表にも1点を取られ、4点差をつけられる。
このときの讀賣は優勝争いをしているチーム(しかも、抑えは上原)
一方のカープは、5位争いに低迷していた。
それでも裏の攻撃のラッキー7で、倉・森笠・東出・嶋・アレックス・新井・栗原が、
繋ぐ繋ぐ繋ぐ
そして、前田の犠牲フライでカープが逆転に成功する。
おれは、ライトスタンドの応援団の近くで観戦していたが、球場のボルテージがどんどん上がっていくのが分かった。凄く面白い展開だ。
あと2イニング抑えれば…という展開だったが、清水に逆転2ランを打たれる。(ピッチャーは永川)
しかし、8回裏に山崎浩司のタイムリーが飛び出して、また同点に追いつく。
目まぐるしい展開だ。
9回表の讀賣の攻撃は、永川がなんとか0点に抑える。
となれば、市民球場のファン全体が「サヨナラ勝ち」を期待して、さらに応援が盛り上がる。
狭い狭いスタジアムなので、「サヨナラホームラン」なんて最高の展開も夢ではない。
先頭打者は4番・新井
→ポップフライ
それでも次は期待の大砲・栗原
→ポップフライ
次は2000本安打直前の前田
の打順だったが、守備固めの影響でピッチャーの永川が入っていた。
既に2アウトランナー無し。延長戦突入が濃厚となり、球場のあちこちから、ため息が漏れる。
そんな中、代打で登場したのは、尾形佳紀(現監督ではない)
2005年の前半戦でブレイクしたときは、ヤクルトの川端と山田を足して2で割ったような選手だった。
打ってよし、走りはさらによし、守備は粗削りだったが、当時のカープファンは「これで1番ショートは10年安泰」と思ったらしい。
しかし開幕して2か月後、膝の前十字靭帯を断裂してしまう。しかも2回目のことだ。
両方のアキレス腱を怪我した前田が「おれよりも重症」と語るほどの重いケガだった。
尾形は、1軍に戻ってこれると思わなかったらしいが、カムバックを果たした。
とはいえ、復帰したこの年もほとんど打席には立っておらず、「復活」とは言い難かった。
でも、おれは尾形が観れて嬉しかった。
なんて感慨にふけっていたが、3ボール1ストライクからの5球目、尾形は甘く入ったボールを強振。
ライトに向かって大きなフライを放つ。
おれはその瞬間、「まさか!?」と思った。
ライトを守っていた矢野が後退する。
外野フェンスまで後退する。
フェンスに体がつく。
グラブを高く上げる
打球はそのグラブの上を超えた。ライトスタンドの最前列に飛び込んだ。
9回2アウトランナー無しからのサヨナラホームラン!!
マンガだとしても、劇的すぎる試合展開だ。球場が興奮のるつぼと化した。
直後のヒーローインタビューに呼ばれたのは、もちろん尾形佳紀。
「松田オーナーをはじめ、スタッフ、ファンのおかげで野球ができるようになりました。本当に…」
と言ったところで、言葉に詰まる。
嬉し泣きだった。
翌日のスポーツ新聞には、もらい泣きするファンの姿も多数あった。と書かれているが、その1人がおれだ。球場を出て、紙屋町の地下街でも涙が止まらなかった。
この日から、必然的にカープファンになった。
当時は、夏休みの讀賣戦だろうと当日券を余裕で買えたが、今では満員札止めが当たり前だ。
人気も急上昇し、チームもどんどん強くなっている。でも、この思い出が色あせることはない。